生協の苦悩、組合員の苦悩?
きょうのタイトルは何?
という感じですが、これは、2010年8月日本科学者会議発行の「日本の科学者」という本の、最初のページに掲載された記事です。
今現在、生協がおかれている状況を如実に語っておられます。
抜粋すると、1970年代に大企業の製品に対する不信感を「自立した個人の集合体としての生協」によって解決することに生協の存在意義がありました。例をあげると、添加物が当たり前のハム・ソーセージの時代に、無添加のハム・ソーセージを作りあげたが、添加物の味に慣れた消費者には受け入れてもらえなかった。しかし、いろいろ試行錯誤を繰り返して定着させていった。
その後、最近の中国産餃子事件の発生時、筆者は新潟県内の生協に呼ばれて、生協活動そのものに対する検証作業をやったそうです。そのとき、組合員からのアンケート調査の結果は、「安さより安全を最優先」という声が圧倒的でしたが、同時に、「生協が販売しているものはすべて国産で、安全なものだと思い込んでいた、確かめない、要求も出さない、組合員と言うよりも安さだけを求める利用者になっていた」との、自戒の声が大量によせられた。(私も、当店のお客様から和歌山市民生協の資料をいただいてびっくりしたことがありました。安ければ海外の製品を積極的に入れるとか、遺伝子組替食品も取扱うとかが書かれていました。というより、表現方法が巧みで、取扱わないような文章に見えるのですが、実際は、取扱うと言う意味なのです。)
一方で共同購入が主体だったものが、個人宅配や店舗中心の購買だけの組合員が増加してくると、生協は運動体としての活動よりも大型店舗間の市場シェア獲得競争へと傾倒してきた。これも、安全な食の確保との狭間におかれた組合員の苦闘の結果が意識と購買行動の乖離ならびに自己反省の弁に帰結したと考えるべきであろう。
私も、自然食品店を経営していて、常に悩まされ続けているのが、上記のようなことです。安全な食べ物を確保すれば、やはり価格が高くなる、そうすると、売れない。お客様は口では安全なものがほしいと言われるが、要は、安全で安いものがほしいということなのです。(スーパーマーケットと同価格程度)でも、それはあり得ないことなのです。
今日のように、サラリーマン所得がどんどん下がってくれば余計にこのような葛藤に悩まされ続けることになると思います。でも、私は、流されずに自分の信念に基づいて今後も、頑張って参りますので、よろしくお願いします。
ちょっと長くなりまして申し訳ありません。